2016年08月26日
ロスに着きました。
前回のアメリカでは
英語がしゃべれずに空港の至るところで自分の番になると引っかかってました。
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アッシュビルに到着
実はこの問題ね、英語が出来ないからとかの話じゃ無かったんです。
☆こちらも英語で話さないと申し訳ない。
☆自分が時間を取ってしまったら申し訳ない。
原因はこれ↑でしたよ。
まぁ、これに限らずですが
今までのわたしの意識の在り方のベースって
基本的に全部
『申し訳ない』だった訳です。
こんなこと思われたら申し訳ないな。
こんなこと思わせてしまったら申し訳ないな迷惑かけたら申し訳ないな。
傷つけてしまったら申し訳ないな。
わたしといて楽しくなかったら申し訳ないな。
もう、重症w
この他人へや世界に対する『申し訳ない』という意識は
”わたし、存在してしまってごめんなさい。”
とも言い換えることが出来ます。
”わたし”というものが存在することへの強烈な罪悪感。
自分の大切な魂に対して四六時中
『おまえが存在してることって世界にとって失礼なんだよ!』
こんな言葉を投げかけているのと同じ行為なので
本質である自分の魂との分離意識を生み出し
その分離意識は究極の苦しみを生み出し
その常に自分から発する苦しみのバイブレーションは同じ周波数と引き合うため同じく『苦しみ』という現実を創造し続けてしまってる訳です。
前回のアメリカから8ヶ月。
あれから私も色々と変わりました。
☆英語の国なんだから英語で話さなきゃ申し訳ない。
☆相手に伝わるようにしないと申し訳ない。
今回はこの意識を変容させるために
一つチャレンジをしました。
『日本語で返す』という無謀なチャレンジ。
で、前回入国審査の英語が伝わらずに時間くってしまった
『For what did you come to here?』(なんの目的で来たの?)
『How long are you going to stay?』(どのくらい滞在するの?)の質問に対して
『観光で来ました!』
『1週間います!』
って日本語で答えてみたんですw
えぇ、なぜかあっさり通りましたよ。
相手や周りに気遣って申し訳ない申し訳ないと一生懸命立ち回り、結果時間を取らせ周りに迷惑かけてた現象が
”もう、私日本人なので日本語でお願いします。”….ってスタンスで挑んだら超スムーズなんですけど!(=´∀`)人(´∀`=)
あと、ホテルにプールがあったので水着が欲しくて。
それもわかんないので堂々と日本語で聞いてみました。
『水着買いたいんですけど、どこで売ってますか?』
先方全く日本語わかんない方でしたが、結局エネルギーなんですよね。
あっさり理解して売ってる場所教えてくれました。
お分かりになりますでしょうか。
これで私の一つ自分で自ら負荷をかけてたものが無くなったんです。
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『英語しゃべれないから申し訳ない、だから海外での行動が少し億劫』
心の解放ね。
あとこちらも今日の話。
みんなでロスの街に遊びに行くことになってたんです。
でも集合の1時間前に眠気がマックスになってしまって。
以前だったらなんにも考えずに『行かなきゃ』って頑張ってましたが
今はこういうタイミングの選択、とても大切にしてます。
一緒にいるのがUSPのメンバーなので、行かないって言ったら嫌われるかも的な思いはもはや微塵も湧かないんですが
『せっかくロスに来たのに寝てるなんてもったいない』
この思考がだいぶおしゃべりしてきました。
『ロスにいるんだよ、寝てるなんてもったいない』
『美しい景色見にいくっていってるんだよ、もったいない』
でも体は時差ボケとアメリカ立つ前に伊勢や出雲や弾丸で周りまくってたので疲れがたまってたんでしょうね。
『このまま寝ていたい』って気分なんですよ。
だからみんなに連絡入れて、私は一人ホテルで休ませてもらうことにしました。
結果体力はすこぶる復活して
現在ロスのホテルのプールを独り占めというなんとも至福の時間を過ごしています。
『せっかくなんだから、もったいない』
今回出てきたこの思考は他のシーンでも派生していきます。
”良い話なんだからこの仕事引き受けとかないともったいない”
とか
”たくさん食べとかないとせっかくなんだからもったいない”(バイキングとかね)
とか
全部に対してこの『しがみつき』が癖になってくる。
すると
やりたくない仕事を行い
食べたくないものを食べ
休みたいのに無理して遊び
結果的にどんどんどんどん自分にストレスがかかっていくんですね〜。
だから『せっかくロスに来たのに、ホテルで休む』この選択は自分の中での1つのチャレンジ。
そしてチャレンジして手放せたおかげで、貸切プールサイドで夕暮れみながら超幸せな状態でこのブログが書けてます。

あぁ、気分が良いぃ〜

こうやってね
「相手に対する申し訳ない」
この意識を変容させるため
「せっかくなのにもったいない」
この意識を変容させるため
私は一つ一つの日常の『選択』を意識的に
行ってるんです。
大切にするのはその瞬間の『わたしの気持ち』
私の中の”行動する”という定義は
仕事をやめるとか、夢を叶えるために学校に通うとか
そんな大げさなことじゃなくて
こういう細かいところ。
小さな『挑戦・チャレンジ』です。
相手に日本語で喋る。ってのも
今までと違う『行動』パターンで一つのチャレンジだし、
旅先で観光行かずに寝る。ってのも
今までと違う『行動』パターンであり一つのチャレンジ。
『”わたし”の魂のために”私”が行動してあげる、チャレンジしてあげる』
多分みんな知識ばっかで、遠くばっかり見て
こういう日常の中での行動やチャレンジってのを全くしてないのでは?と思います。
『行動』と『チャレンジ』は一つ一つの『体感』を生みます。
体感の積み重ねは自信に繋がります。
わたしはたくさんたくさんこういうことをして『わたし』に戻っていったんです。
でもね未だにこんなことでしくじってます。
飛行機の中で今回窓側に座ってて。
トイレに行きたかったのにフライト中一度も行けませんでした。
隣の席とその隣の席の人が食事してたり、寝てたりしてタイミングが悪くて。
『あー、やってしまった( ̄▽ ̄)』って感じですこの件。
今までの『申し訳ない』パターンを手放せずに『行動』出来なかった。
”すみません、トイレに行かせてください”
このたった一言で相手もなにも思わず気持ち良くどいてくれるはずなのに。
謎の罪悪感により、わたしは少しの我慢というストレスを抱え、
そのエネルギーを世界に向けて放出する。
本当それって人類にとっての迷惑行為。
みんなの意識って繋がってるからね。
こういうのまじ辞めていきたいもんです。
そして反省はするけど、出来なかった自分を否定はしませんよ。
『気づけただけでまずは十分』
次回またきっと同じような現実が身に起きるだろうから、その時にちゃんとチャレンジすれば良いだけの話。
『わたしで在る』って毎瞬の選択。
とてもとても地味な作業。
『遠くに私の居るべき場所がある』
こんなこと思ってる人いるなら全力でツッコミたいもんです。
ナイナイ!全然無いから!
地に足つけて力強く生きましょうね。
ダライ・ラマ法王と肩並べて講演したり
大統領に勲章までもらってる
そんな世界的なジャネットに対してすら
もはや返しは日本語ですw


変に取り繕うの辞めたんです。
閉じたら分離する。
開いたら繋がれる。
世界はシンプルですね。

